「そういえば…」
蚊帳の外に置かれていたカイルがそれを気にすることもなく、思いついたように顔を上げた。
「さっき街で会った時、ナーラの様子が変だったじゃない？
エリカちゃん、それも気にしてたんたけど？」
「別にたいしたことじゃないわよ」
そう言うわりには不機嫌そうにナーラは視線を宙に流す。
「ふ〜ん、なら別にいいけどあんまりエリカちゃんに心配かけないでよね」
私が一番心配なのはアンタがエリカに近づくことよ、とは口に出さずにナーラは「あんたに言われなくても分かってるわよ」とだけ答えた。
＊＊＊
「あら、今日はエリカのとこには遊びに行かないの？」
昨晩からの続いての訪問、それも不機嫌丸出しのカイルに部屋に押し掛けられて、ナーラは迷惑顔を隠そうともしない。
エリカと過ごす時間はこの上なく楽しい。
臆面もなくそう告げるカイルが、その言葉通り連日エリカの元を訪れているのを揶揄しての台詞だった。
お祭り好きのナーラとしては武術大会を見物できないのが面白くないらしかった。
それを帰郷の楽しみのひとつに数えていたのだから当然だろう。
毎日楽しくて仕方がないとばかりに上機嫌で過ごしているカイルが憎たらしくて仕方なく、口を開けば嫌みの１つ２つ言うのがすでに日課になって久しい。
言われたカイルは何処吹く風とまったく気にする様子を見せないのがさらにナーラの機嫌を損ねる要因になっていたのだが。
「今日は久しぶりに帰郷してくる友達が訪ねてくるんだって」
地を這うような暗い声で答えるカイルに、ナーラは必要以上に朗らかなに笑う。
「エリカにはエリカの生活があるものねぇ。
そう四六時中あんたにつき合ってるわけにも行かないわよねぇ」
「だ〜、煩いよ、ナーラ。
仕方ないからここで暇つぶしでもしようかと思って来てわざわざやったってのに」
何よ、その言い方は、別にこっちが呼んだわけでもないのにっ！
途端にキーキーと怒りだしたナーラを右から左の耳へと聞き流して、カイルは口を尖らせて窓の外を見やる。
この街は海から遠く高度が高いため、夏が近いこの時期でも風が涼しく過ごしやすい。
透き通るばかりに青く高い空に白い雲がのんびりと流れていった。
エリカに対するカイルの執着ぶりは、日頃の行いを知っているゼレントにとってもナーラにとっても信じられないものだった。
何事にも固執せず、言い寄ってきた女を喰っては冷たく切り捨ててきたカイルが、側にいるだけで満足なのだと微笑みながら言うのだ。
恋愛感情の何たるかをわかってないだけよ、とナーラは切り捨てたが、ゼレントはそんな彼女が人間として心を育ててもらえなかったカイルのことを気にかけていたのも知っていた。
エリカを実の妹のように可愛がるナーラはどうやら複雑な心境らしいが、ゼレント自身としてはこのままうまくいくことを願う。
うまくいったらいったでエリカに多大なる苦労が襲いかかるのは目に見えていたが、ここのところのカイルは表情も豊かで急速的に人間味が増してきていた。
整った顔であまり表情を動かすことをしなかった今までのカイルは壊れた人形のようで見ていて気持ちのいいものではなかったから。
その証拠に、今までのカイルであればいくら親しいとは言え他人にここまで軽口を叩かせるようなことはなかった。
ここ数日のうちにカイルの持つ雰囲気が驚く程に変わった、とゼレントは思う。とはいえ、それはエリカに関してだけであり、それ以外は今までと何ら変わりないということもわかってはいたが。
「エリカと居るのはそんなに楽しいか？」
そう聞いてやれば、とろけそうな笑顔でもちろんだと答える。
「見てるだけでも楽しいのに、話しをするのはもっと楽しい。
頭の回転が早いんだよね、一話すと十に膨らんで返ってくる感じ」
エリカのことを話題にふってやれば、カイルはいつだって上機嫌に乗ってきた。
嬉しそうにこんなことがあった、こんな事を言ってたといつまででも話し続けて、止めろと言っても止めなかった。
こういうのを俗にベタ惚れと言うんだがな…。
ゼレントもナーラも、カイルがエリカに抱いているのは恋心だと確信していたが、それをわざわざ教えてやるつもりはなかった。
まともに人間関係を築いてこなかったツケが今きてるってわけだろうが、カイルが自覚するのもそう遠いことではないだろう。
ゼレントはそう分析する。
「で、カイルはほんとにただ暇つぶしのためだけにここに来たのか？」
「い〜や、手合いにつき合ってもらおうと思って」
「予選の方は順調なのか？」
「ん〜、ちらほらと手強いのが出てきたってとこかな〜」
「そろそろ予選も終盤でしょ？それなら、かなり強者だけが勝ち残ってきてるはずよ。そんな舐めたこと言ってると、そのうち返り討ちにあうから」
からかうようなナーラの言葉にカイルは「返り討ち？あってみたいもんだネ」とにやりと笑って返した。
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