3人は陽が落ちる前に宿を出た。
ナーラ達がこのところ使っている、街外れの森で試合形式で剣を合わせることとなった。
カイルは明日から本戦なので、軽く何合か剣を合わせただけで刃を仕舞う。
その後は、樹の根本に腰を下ろして二人の手合いを見ながら茶々を入れる。
そうこうしている間に時間は過ぎ、辺りが暗くなってきた頃鍛錬は終了した。
汗と埃に汚れた武具を軽く拭いて用具を纏めると、三人は街中の店を冷やかしながら宿屋へと戻ることにした。
観光客向けの出店などはどこの街でも代わり映えしないものと相場が決まっているが、覗きながら店員と軽くやり取りをしながら歩くのはそれなりに楽しいものだ。
ナーラが護り石やアクセサリーを置いている店をふらりふらりと覗いて歩く。
その後ろをゼレントとカイルが半ばうんざりした顔を隠さずにそれでも黙ってついていく。
大通りも半ばを過ぎたところで、カイルはふわっと流れてきた風に見知った空気を感じて立ち止まった。
振り向いて見てみれば、人混みの中にすでに見慣れた栗色の髪が消えていこうとするところだった。

「エリカちゃん?」

とっさにその後を追おうとしたカイルは、エリカの隣にいる人影にピクリとその動きを止める。
流れる人混みの向こうではエリカが出店を覗いている。時折楽しそうに隣にいる男に話しかけているのが分かる。人混みに流されそうになったエリカを男はさりげなく腰に伸ばした腕で護りながらエスコートしている。
カイルの不自然な止まり方にゼレントとナーラが気付き、その視線の先を追う。
エリカが誰か男性と共に店先にいるのだと認識した途端、カイルから強烈な殺気が発せられた。
剣の柄に手をかけたカイルの腕を咄嗟にナーラが押さえ、ゼレントが背から羽交い締めにして路地裏へと引きずり込んだ。

「カイルっ、アンタ何考えてるのよっ。
 こんなところで物騒な気配を出さないでちょうだいっ」

「だぁ〜っ、一般人にいきなり襲いかかる真似はやめてくれや」

頭ごなしに怒鳴られたカイルは、ゼレントが拘束を解くと同時にズルズルとしゃがみ込んでしまった。
胸のところの布地を掴んだ両の手は、力を入れすぎているのか白くそして細かく震えている。

「カイル?…ねぇ、聞いてるの?」

様子のおかしいカイルを見てナーラは心持ち声を柔らかくして覗き込んだ。

「……よ」

「何?聞こえない…何て言ったの?」

「…なんか胸んとこが痛い…すっげぇ苦しい…」

耳に届いた言葉に、ナーラとゼレントはうずくまるカイルとこちらの事など何も知らずに楽しげに露天を見物している二人を交互にみて、深いため息をついた。

*****

「あ〜、まいったなぁ〜」

ナーラとゼレントに引き連られるように宿に帰り着いた後、カイルはずっと寝台に横たわったままだった。
幾度となく大きなため息をつく。

あの時。
出店の前で楽しそうに笑うエリカを見てから、カイルの胸は痛みっぱなしだった。
人混みから守るために伸ばされた腕に、何の戸惑いもなく体を預けたエリカの姿を思い返すだけで、胸が掻きむしられるように痛い。

「これってきっと嫉妬ってやつ…だよな」

これまで生きてきて、執着した人間など数える程しかいない。
感情が制御できなくなるくらいに心を占めた人間は傭兵稼業の師匠でもあった養父くらいなものだ。
共に戦場に立ち、まだ弱かった自分の盾となって散っていった養父。
戦闘が終わっても未だ降りしきる雨の中、立っていたのは自分独りだけだった。
「俺はもう駄目だから…このまま置いていけ…」
そう言われても諦めることなど出来なくて、背負って帰還した。
話しかける声に次第に返される言葉が無くなっていくのをきっと眠ったせいだと…背にある養父の体がどんどん冷めていくのを、雨のせいだと…そう無理矢理思いこんで一歩一歩血の滲む思いで進んだあの時から。
何に対しても誰に対しても、心が騒ぐことなど無かったというのに。

カイルは自分が人間として何かが欠けていると知っていた。
それによって、時々ナーラやゼレントが何か言いたげな哀しむような顔で自分を見ることがあることにも気付かぬふりをしてきた。
そうでなければたぶん生き抜いてこれなかっただろうし、それで何の不都合もなかった。
それはカイルにとって、何ら卑下する要因ではなかったのだ…今までは。

エリカに出逢って、彼女を知って、自分の中で何かが変わったのだ。
彼女の側にいると、胸の奥にぽぅっと温かな灯火が宿るような気がした。
ふわりと微笑むその顔を見ていると、自分までまっとうな人間になれるような気がしていたのだ。
だから、一緒にいるだけで幸せだと思っていた。
それだけでいいのだと。
けれど…それは違った。

エリカの側に居たい。
それは今でも変わらない。
でも、それだけでは不満なのだと気付いてしまった。
自分だけを見て欲しい。
自分以外の誰にもその笑顔を向けないで欲しい。
暗い欲は心の中の奥底から尽きることなく沸いて出てきて、カイルの胸をジクジクと苛んだ。
己のその欲求はきっと満たされることはないだろう。
誰からも愛されるエリカ。
そんな彼女が欠陥品の自分を望むわけがない。
今なら、ナーラが言いたかったこともわかる。
これまでの自分の行いが、どれだけ酷いものだったのかも。

今の自分はエリカにとっては、単なる知り合いというだけの存在だ。
嫉妬する権利も側に居る権利も何もないのだ。
それが分かっているだけに、よけいに辛い。

「それでも…俺は…エリカちゃんが好きなんだ…」

闇の押し迫った部屋の中、小さく呟いた声はズシリとカイルの胸へと沈み込んでいった。


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