馴染みの宿屋の一室で、明日エリカの家で手合わせに付き合え、と言い出した男にナーラは冷たい一瞥を与えた。
まったく、いつの間にそんな約束をしてきたのだろう。
油断も隙もあったもんじゃない。

「エリカに手を出すな、と言っておいたハズだわよね?」

「え〜、手なんか出してないジャン。
だってそれって抱くって意味デショ?」

あまりにもあけすけな言い方にナーラはぐっと言い詰まってしまう。

「血を流す戦場でもあるまいし、こんな町中じゃ気持ちが高揚することなんかそうそうないし…それはいらぬ心配よ?」

その行為は単に体の熱を冷ますためだけの行為だとばかりに言う。
言外に、そこに情が通うことなどないのだ、と。

彼は備え付けの椅子の背もたれを前にして、足をブラブラと遊ばせている。
ゼレントはと言えば、ベッドの上で壁に背を預け黙ってタバコを燻らせている。こちらに口を挟むつもりはないようだ。
ナーラは腰に手を当てて、目の前の青年を睨め付けた。
悪びれた様子もなく、こちらを見返してくるその視線にナーラは顔を覆ってため息を付いた。

カイルには情緒というものが著しく欠落している。
山賊に襲われた集落の生き残りで、救済に来た傭兵に育てられたのだと聞いた。
親代わりだったその傭兵には懐いていたようだが、彼もまた戦いでその命を散らせたのだと。
それ以来、心を育てる機会を失ったまま、体だけ成長してしまった子ども。
なまじ腕がたったせいで、その在り方を変えることがなかったのは彼にとっても回りの人間にとっても不幸なことだったろう。

ナーラは、傭兵仲間の中で囁かれるカイルの噂の殆どが事実であることを知っている。
常識を知らず、仲間でも気に触ることがあれば容赦なく刃を向ける。
人を人とも思わない。
なまじ見目が良いので、群がってくる女は後をたたず。
戦闘で高まった血の滾りを情交によって鎮めるのは傭兵にはよくあることだが、カイルの場合はあまりにたちが悪かった。寄ってくる女を喰っては捨てる。泣いてすがる女にも眉1つ動かすことなく切り捨てる。
気まぐれで、全てのことに執着する事を知らない。人にも物にも。
それだけならまだしも、己の命にすら無頓着のように見えた。
生きることを謳歌する、剣の師匠にそう教えられていたナーラには信じられない存在だった。
それゆえに気になったのだろう。
気が付けば、傭兵たちの寄り合い所ですれ違えば口を聞くようになっていた。
気に障るようなことを言いさえしなければ、そんなに付き合いづらい男ではなかったから。
別段特別なことではない、不用意に突っかかるのを気を付けるのは人付き合いの上で当たり前のことだ。
万が一、剣を向けられても対応できるだけの力は幸いにも自分にもゼレントにも備わっていた。
そうして、同じ仕事になれば終わった後に飲みに行く仲になった頃、ナーラは彼にも何か1つでいい、執着できるものができればいいと願う自分に気が付いた。
同情とかではない、自分が何かをしてやろうとは思わなかったし、何ができるとも思わなかった。
ただ彼がこのまま1人で生きてゆくのは悲しいことだと、そうナーラは思っていた。
そんなカイルが初めて執着する素振りを見せた。
それは彼にとって喜ぶべきこと。
が、寄りによって自分が大切にしている妹分じゃなくってもいいじゃないか。

「なら、なんでエリカにちょっかい出すのよ?」

鼻息荒くそう言い捨てると、カイルは目を丸くして答えた。

「最初はサ、可愛いだけかと思ったのに術が絡むとがらりと雰囲気が変わってサ」

そんなコトは知っているわ。
イライラしながら、次の言葉を待つ。

「いろんなエリカちゃんを見てるとなんとなく楽しい気持ちになるんだヨネ。
でもって、エリカちゃんにも俺を見て欲しい。
…そんな感じ?」

疑問系に頭が痛くなった。
何が「そんな感じ?」だ、と。
見つめていたい、見つめて欲しい。
その気持ちがどう発展するのか火を見るより明らかではないか。
目の前の男は己の感情の行く末すらもわかっていない。
自信満々に、見ているだけで一緒に時を過ごすのが楽しいのだ、と笑って答える。
あ〜、もうっ!!
ナーラは地団駄を踏んで暴れたくなる気持ちをなんとか押さえた。

「ここでやいのやいの言っていても仕方あるまい。
エリカのことはエリカが決めるだろう」

今まで黙りを決め込んでいたゼレントが口を出す。
その声には戒めと共にナーラに対する労りの気持ちが感じられた。

「それはそうだけど…」

「大丈夫だ、エリカは強い子だ、そして聡い」

それも知ってる。
フワフワとした外見に反して、エリカは芯が強い。
もしかしたら、ここにいる誰よりも強いかも知れない。

「でも…エリカが泣くかも知れないのを黙って見てるのは…嫌なのよ…」

大切な妹分。ここにはすでに家族はいない、ナーラが王都に戻ってくるのはあの笑顔に会うためだった。

「泣かしたりしないヨ。俺だってエリカちゃんの笑顔が気に入ってんだから。
 必要のない心配はしなくてもいいヨ」

じゃないと老けるよ〜、などと目の前で脳天気に笑っている男がこれほど憎らしく見えたことはなかった。
けれども、これまでこんなに幸せそうに笑っているカイルを見たこともなかった。
ナーラは新たに襲ってくる頭痛に思わずこめかみを揉んだ。
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