◇引っ越し




空は雲一つない青空で。

「引っ越し日和だね〜」

嬉しそうな六花の声が高いところから降ってきた。
大八車には天まで届けとばかりに山のような荷物が積み込まれている。
そのてっぺんで六花は気持ちよさそうに笑う。
ギシギシと軋む音を響かせながら、それを轢く夕霧の額には汗が光っていた。

「くっ…重てぇ〜」

ここで六花に降りろと言わないのは、言ったが最後「狩り人のくせに鍛錬不足じゃないの?」だとか「女の子に『重たい』類の言葉は禁句なんだぞ」だとか「こんな天気の良い日にカリカリして、カルシウム不足じゃないのか?」だの、息吐く暇も与えない返答が襲ってくるのが目に見えているからだ。

あの雨の日に。
六花の親切心(あくまで彼女の言葉を信じるならば、だ)で、雨風を凌げる住居は心躍るような騒がしい家に成り代わった。
雨降る日は、家の中だということが信じられないくらい滝のような雨が天井から落ちてくる。
それを器で受け止めようものなら、気が狂いそうな騒がしい音を奏でるはめになる。
夕霧が引っ越しを決意したのは、己の忍耐力に限界を感じたから他ならない。

「私にも責任の一端はあるからな」
と、お前以外に責任がある奴がいたら連れてこいと言いたくなるような台詞を吐いて、六花は夕霧の新しい家を探してきた。
これが彼女にしては比較的まともな家だったので、夕霧も文句を言うことなくそこを新居に決めたのだ。

六花の家からほど近い住宅街。
そこに向けて、今、家財道具一式と共に移動の真っ最中なのだ。
ちなみに新居の掃除は六花の手によって終わっている。
あとは荷物を納めるだけ。
面倒が嫌で長引くだけ長引かせていた引っ越しは、思いの他簡単に済みそうだった。

「たしかに引っ越し日和だな」

青い青い空に夕霧の呟きが淡く溶けて消えいった。




玄関の前に止められた大八車。
乗せられていた荷物は殆ど家の中へと運び込まれ。
押し迫ってきた夕闇と共に引っ越しが終わりを告げようとしていた。

「はぁ〜、終わった終わった」

畳に足を投げだし、疲れ切った表情を見せる夕霧に台所から顔を出した六花はにこやかに労をねぎらう。

「お疲れさん、今、引っ越しそばを用意するからな」

台所にこもって何やらやっていたのは知っていた夕霧だが、引っ越し蕎麦の準備までしていたとは思わなかった。
というより、そんな常識的なことをしていたとは考えもつかなかった。
いくつかの包みを手に外へ行こうとする六花に夕霧は「ちょっと待て」と待ったをかける。

「何故に外へ行く?」

「ご近所にご挨拶に行くに決まっているだろう、ご近所づきあいは初めが肝心」

「?」

「向こう三件両隣〜」

妙な節をつけて六花はいそいそと草履をはいて今にも飛び出していきそうな勢いだ。
そのあまりに楽しそうな様子に夕霧の第六感はびんびんに反応した。
これからここに住むことになるのなら、あまり妙な風評が立つのは遠慮したかった。
しょっぱなから蕎麦という名のうどんを配られ噂の人になるのは嫌だと思う。

「六花…頼むから…」

余計なことはしないでくれ、と続くはずの言葉はすでに姿の消えた六花の耳に届くことはなかった。

そして。

思ったよりも早く帰ってきた六花の手によって、その日の夕食である引っ越し蕎麦が振る舞われた。
以前食べさせられた手作りの蕎麦はどう好意的に見ようとも蕎麦には見えなかったので心配していたのだが、どうやら今回はちゃんとした細さをもったまごうことなき蕎麦であった。
夕霧は六花を疑ったりして悪かったと心の中で反省した。
が。
一口二口食べるうち、覚えのある震えが押さえても押さえても腹の底から湧き出てくる。
つい安心してしまったせいで、六花が蕎麦に手をつけていなかったその不自然さにも気が付かなかった。
夕霧は油断していた自分に腹をたてた。

「……六花…」

「なんだ?」

「入れただろ」

「うん」

「何で?」

「新しい場所で夕霧がなじめなかったら可哀想だから」

耳を澄ませば向こう三件両隣から、地の底を振るわせるような笑い声が。

「ふはははは…ぐふふふ…六花…あは…てめぇ〜…わはははは…反省した俺の気持ちを…ぶふ…か、返せぇぇぇ〜っでぃははははは…」

にっこりと微笑む六花。

「楽しそうなご近所が多いみたいでよかったな」



鬼狩りの里は今日も平和、局部的にとても楽しそうなのであった。
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