◇雨
昨夜からの細かい雨は未だ降り止む気配を見せず、景色を煙るように見せている。
灰色の空から降り注ぐ銀の糸は、葉に地面にそして屋根に当たって思い思いの律動を刻む。
窓辺に腰掛けた六花は目を細めてそれをただぼんやりと眺めていた。
その後ろではドタバタと騒がしく夕霧がなにやら立ち動いている。
手には雑巾と小さめの金盥(かなだらい)。
ここ、築50年にもなる夕霧の住む古くてぼろい一軒家は雨漏りがする。
いい加減もう少しマシな物件に引っ越せばいいのに、という回りの意見を面倒くさいのが嫌だという理由から無視しつづけること10年。
夕霧が知っているかどうかは不明だが…友人知人の間ではあと何回台風の襲来に耐えられるかわからないあばら屋にいつまで彼が暮らし続けることができるか賭けの対象になっていた。
雨が降るたびに彼はどこぞから金盥を出してきて天上から落ちる水滴を受ける。
トン トン トトン トン
水滴が金属の盥を穿つ度にどこかくぐもったようなとぼけた音が静かな部屋に響いた。
「ったく雨は嫌だ〜ね〜」
雑巾を絞りながら夕霧がぼそりと呟いた。
「夕霧は雨は嫌いか?」
「雨漏りするし…まぁ、これはここ限定かもしれないけどさ…それだけじゃなくってなんか雨の日ってもの悲しいような気持ちにならないか?」
「もの悲しい…夕霧はもの悲しいのか?」
「ま、なんとなくそんな気分になるってだけだけどね」
そう言いながら軒下に張った縄に雑巾を干しに行く夕霧を六花は「ふむ…」と見送った。
***
「ただいま〜」
夕食の買い出しから戻った夕霧は留守番をしていた筈の六花に帰宅の声をかけた。
六花はたいていのことはどうでもいいらしいのに挨拶だけには煩い。
「おかえり」
濡れた肩を手ぬぐいで拭きながら扉を開けた夕霧は目の前に広がった光景にぱかっと顎が落ちて止まった。
トン タン トトン チン タンタン タタン チン トン テン
万年床も上げられてすっかり片づけられて見違えるような部屋には、思わず耳を塞ぎたくなる程に騒がしい音を奏でる床に置かれたたくさんの器たち。
大小の金盥はトンテントンと高くくぐもった音を、そして陶器の器はタタンタンと低く柔らかな音を奏でていた。
「ろ…六花…これはいったい…」
呆然としながら呟いた夕霧の声は賑やかな律動にともすれば消されてしまいそうだ。
「ん?夕霧がもの悲しいって言うから、楽しい気分にしてやろうと思って」
右手に金槌を持ち、左手で首にかけた手ぬぐいで一仕事終えた額の汗を拭いながら爽やかな笑顔とともに六花は言った。
「南国の祭りの律動を再現してみた」
口を閉じることも忘れた夕霧に六花は小さな手を差し出した。
「さぁ、一緒に踊りましょう」
「無表情な上に抑揚のない声音で言われるともの凄く怖いんですけど?」
「さぁさぁ一緒に歌い踊りましょう〜♪」
「いや、だからといっていきなり歌い始められてもそれはそれで怖い」
「ああ言えばこう言う、お前はいったい何を望んでいるんだっ?」
「いや、逆切れされても困るが…」
「………」
固まったままの夕霧、手を差し伸べたままの六花。
その二人を賑やかな律動が終わることなく包み込んだ。
トンテン トトンタン タントン トトンチン
夕霧はふと我に返った。
「な、何て事をしやがるんだぁ〜っ!今夜から何処で暮らせと言うんじゃ〜っ!」
数え切れない程の器を避けながらの、追いかけっこが始まった。
「安心しろ、新しい家が決まるまではうちに泊めてやるから」
南国風の明るくも騒がしい律動とドタバタと走り回る音が終わることなく日の沈み始めた里の一角に響きわたる。
六花が例の賭けで10年という区切りに賭けたことを夕霧は知らない。
そして、きっと間もなく少ないとは言えない勝ち金が彼女の手元に転がり込んでくることも…。
外はまだ雨。
当分は止みそうにない。