◇浮上
障子越しに柔らかな光が部屋を優しく映し出し、朝の訪れを知らせる。
軽やかな鳥の囀りが、ゆっくりと夕霧の意識を浮上させた。
「そっか…夕べ、六花のところに泊まったんだっけ…」
見慣れぬ部屋を見回して、夕霧は昨日のことを思い出した。
自分の失態で負傷した夕霧は解毒薬を欲して薬師である恋人の元を訪れたのだ。
台所から人の気配が伝わってくる。
どうやら六花が何かを作っているらしい。
「起きたのか?」
床を上げていると、六花が様子を見にやってきた。
「あぁ、夕べはすまなかったな。
おかげで体はすっかり楽になった」
「今、朝餉をもって来るから、ここで待ってろ」
部屋を仕切っていた襖が開けられたために、台所から一種独特な匂いが漂ってきた。
「もしかして…薬草粥か…?」
「よくわかったな。
体が疲れている時にはこれが一番だ」
そう言って台所へと戻る六花の姿を夕霧は肩を落として見送った。
薬草粥…それは、読んで字の如し、ありとあらゆる薬草をふんだんに使って作った六花お得意の粥である。
たしかに効果の程は絶大だ。
夕霧とてそれは承知していたが…。
その効果の程を考慮しても余りうるくらいに不味い代物なのだ。
見た目もよろしくない。
どろりとした深緑の流動食、匂いといったら青臭さと酸っぱさが混じり合ったような異臭とも言ってよいようなもので、味も推して知るべし、苦みと渋みとほんの少しの甘みがこれまた絶妙の嫌がらせではないかといった具合に混じり合っている。
「はぁ〜〜〜」
突然押し掛けて迷惑をかけてしまったことは事実だ。
そして、朝から手をかけてわざわざ粥を作ってくれた、これは好意以外の何物でもないだろう。
「喰うしかないよな、覚悟を決めて」
拳を握りしめて心の準備をしている時に、六花が土鍋を運んできた。
「待たせたな」
脇に寄せてあった卓袱台の上に鍋を乗せ、小振りの椀に中身をよそい手渡された。
「さぁ、遠慮なく食え」
もう二度と見たくなかった深緑色の粥。
夕霧は意を決して、木製の匙で粥を口に運んだ。
「あ、あれ?」
不味くない、いや、むしろ美味しい。
見た目も匂いも、思い出すのも苦々しい程不味かったあの薬草粥なのに。
「不味いか?」
「いや、美味しい」
「それはよかった、さ、遠慮せずにどんどん食え」
六花がまるで花が綻んだような特上の笑顔を見せた。
匙を何度も口へと運びながら、夕霧は六花の上機嫌の理由を考えた。
「…お前、なんか企んでるだろ」
「何のことだ?」
「お前がそんな風に笑う時はろくなことがない」
「仮にも恋人に対して、大した台詞だな」
「事実だろうが」
あまりの怪しさに思わず匙を運ぶ手が止まる。
「……!」
突然、夕霧はギュっと唇をひき結んだ。
「ぐ…ふ…ふふっ…お前、いったい、何を入れた?」
「笑い茸を少々隠し味に」
「くく…ふふふ…はは…な、何でそんなもんを…ふははっ…入れるんだよっ?!」
体の内からわき起こる笑いの発作に、夕霧は腹に力を入れてなんとか耐えようと堪える。
「夕べ、お前落ち込んでいたから、気分を浮上させてやろうかと親切心から」
「あははは…って、落ち込んでたのは夕べの時点で直ったのは…くくく…お前だって知ってたはずだろ〜、くふふふ…」
「いや、いくら恋人とは言っても所詮は他人同士だからな。
お前の心の内まではわからんよ」
「あはははは…でも…今日の薬草粥の味は…ふふふ…美味しかったぞ…これは笑い茸の味なのか…あははは」
「いや、美味しくなるように味付けしたからに決まってるだろう?」
「ぎゃははは…なんで今日に限って…ぐははははは」
息も絶え絶えになりながら夕霧は床をはい回った。
「お前にたくさん食べさせるためには美味しく作った方が確実だからな」
「あは、美味しくできるんなら…くくく…いつもそうしてくれりゃいいだろうが…がはははは」
「正々堂々、滋養強壮のために食べさせる薬草粥にそんな小細工は必要ないだろう。第一、面倒臭いし…」
「は、はははは…なんだよ、それは…あはははは…まったくお前は…わけがわからん…ぎゃはははは」
爽やかな朝、里の外れの一軒家からは鳥の囀りの変わりに夕霧の陽気な笑い声が響きわたっていた。
鬼狩りの里は今日も平和です。